【 チーロ フェラーラ 】 180/76 1967-2-11  DF



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
84 / 85 ナポリ Ita1 2 0
85 / 86 ナポリ Ita1 14 0
86 / 87 ナポリ Ita1 28 2
87 / 88 ナポリ Ita1 23 1
88 / 89 ナポリ Ita1 27 0
89 / 90 ナポリ Ita1 33 0
90 / 91 ナポリ Ita1 29 2
91 / 92 ナポリ Ita1 32 1
92 / 93 ナポリ Ita1 31 4
93 / 94 ナポリ Ita1 28 2
94 / 95 ユベントス Ita1 33 1
95 / 96 ユベントス Ita1 31 3
96 / 97 ユベントス Ita1 32 4
97 / 98 ユベントス Ita1 17 1
98 / 99 ユベントス Ita1 18 0
99 / 00 ユベントス Ita1 31 1
00 / 01 ユベントス Ita1 23 1
01 / 02 ユベントス Ita1 23 3
02 / 03 ユベントス Ita1 25 0
03 / 04 ユベントス Ita1 17 0
04 / 05 ユベントス Ita1 4 0
  計 501 26


90年代のイタリアを代表するカリスマディフェンダー。
ゾーンでもマンマークでも高い守備能力を発揮し、冷静かつハードなプレーでゴールに鍵をかけた。
長身というわけではないが、空中戦にはめっぽう強く、セットプレーから多くのゴールを挙げている。
常に謙虚な姿勢でありながら、熱いハートを持った選手でチームリーダーとして君臨した。
マラドーナの大親友でもある。

地元ナポリで、84/85シーズンに19歳でデビューを飾ると、徐々に活躍の場を増やし、86/87シーズンにはレギュラーに定着する。
それまでマラドーナの攻撃にのみ頼っていたナポリは、フェラーラというディフェンスのリーダーを得た事により、強豪と対等に戦えるチームとなった。
そしてこのシーズン、他のチームのもたつきもあったものの、見事にリーグ優勝を果たす。
さらに、国内カップの制し、国内2冠を達成しイタリアを代表するDFの1人となる。

その後も、ユベントスやACミランらとは比べ、明らかにチーム力が劣るナポリであったが、
マラドーナの攻撃力と、フェラーラを中心とした守備により、毎シーズン上位食い込む強豪へと成長していった。

マラドーナとは激しい戦いの中で硬い友情で結ばれる。

88/89シーズン、UEFAカップで優勝を果たし、初のヨーロッパタイトルを獲得。

89/90シーズンには、当時ヨーロッパ最強と謳われたACミランを破り、2度目のリーグ優勝を果たした。

90/91シーズンに親友マラドーナがチームを去ると、ナポリにはかつての勢いがなくなってしまった。
それでも、フェラーラは毎シーズン安定した守備を見せ、崩れそうになるチームを支え続けた。

93/94シーズン、ナポリは監督にリッピを迎えると、好成績を残しUEFAカップ進出を果たした。
しかし、ナポリは財政的に厳しいシーズンを何シーズンも続けていた。
その結果フェラーラは高額な移籍金でユベントスにリッピ監督と共に移ることとなった。

長年プレーしたナポリとは全く規模の違う、世界的クラブであるユベントスに移籍したフェラーラであったが、リッピはDFのリーダーに指名。
ユルゲン・コーラーとともにユベントスの壁となり、9シーズンぶりとなるリーグ優勝に大きく貢献。
さらに国内カップでも優勝を果たし、国内2冠を達成する。

翌シーズンはリーグ連覇は逃すも、CLで優勝を果たし、自身初のヨーロッパチャンピオンとなった。
その後も、ユベントスのチームリーダーとし、黄金期とも言える時代を支え続けた。
ユベントスでは6度のリーグ優勝、CL優勝1回、準優勝3回という華々しい成績を残し、04/05シーズンを最後に現役生活に別れを告げた。


イタリア代表としては、49試合に出場している。
クラブでの華々しい活躍と比較すると、代表ではあまり活躍できていない。

87年に20歳で代表入りを果たし、90年W杯に出場。
1試合のみの出場であったが、その後の飛躍が大きく期待されていた。
しかし、その後イタリア代表に就任したサッキ監督との確執から代表を離れることとなった。

96年の欧州選手権後にサッキが、代表監督の座から退くと代表に復帰。
98年のW杯欧州予選ではキャプテンとして活躍、本戦出場に大きく貢献したが、怪我のため本戦のメンバーから外れた。

00年の欧州選手権ではメンバー入りするものの、カンナバーロやネスタの台等により活躍はできなかった。


素晴らしいプレイヤーであると共に、素晴らしい人格者として多くの選手から尊敬を集める人物です。
90年代半からのユベントス黄金時代は、彼の存在がなければ考えられなかったでしょう。
自身が世界最高のDFと評価されていた頃、「パオロ(マルディーニ)には到底及ばない、別格である」発言し、マルディーニを非常に高く評価していました。