【 ルディ フェラー 】 178/72 1960-4-13  FW



シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
77 / 78 O・キッカーズ Dui2 5 1
78 / 79 O・キッカーズ Dui2 31 11
79 / 80 O・キッカーズ Dui2 38 7
80 / 81 1860ミュンヘン Dui1 33 9
81 / 82 1860ミュンヘン Dui2 37 37
82 / 83 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 31 23
83 / 84 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 31 18
84 / 85 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 32 25
85 / 86 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 13 9
86 / 87 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 30 22
87 / 88 ASローマ Ita1 20 3
88 / 89 ASローマ Ita1 29 10
89 / 90 ASローマ Ita1 32 14
90 / 91 ASローマ Ita1 30 11
91 / 92 ASローマ Ita1 30 7
92 / 93 マルセイユ Fra1 33 18
93 / 94 マルセイユ Fra1 25 6
94 / 95 バイヤー・レヴァークーゼン Dui1 30 16
95 / 96 バイヤー・レヴァークーゼン Dui1 32 10
542 257

ドイツのサッカー史に残る偉大なるストライカー。
非常に優れたテクニックを持つと同時に、凄まじいまでのゴールへの執着心を持ち、長身ではないが空中戦にも強い。
ゴール前で抜群の存在感を発揮する典型的なドイツのストライカーである。

77/78シーズンにO・キッカーズで17歳でプロデビュー。
80/81シーズンに1860ミュンヘンに移り、9ゴールを挙げる活躍を見せるが、チームは2部に降格してしまう。
81/82シーズン、フェラーは2部リーグでその才能を開花する。
37試合で37ゴールを挙げるという驚異的な決定力を見せつけ、2部の得点王となる。

82/83シーズンには名門ヴァルダー・ブレーメンに引き抜かれ、ここでも抜群の決定力を見せる。
このシーズン23ゴールを挙げ見事に得点王に輝き、国内屈指のストライカーとして数えられるようになる。83/84〜85/86奥寺と共にプレー)
その後も抜群の決定力でチームの顔として君臨。

そして87/88シーズンにはイタリアのASローマに移籍。
ASローマは、年老いたプルッツオに替わるエースストライカーとしてフェラーを獲得。過大な期待をかけていた。
しかし、このシーズン、全く結果を残す事はできなかった。
イタリアのサッカーに馴染む事ができず、わずか3ゴールでシーズンを終えた。

しかし、フェラーはローマを去らずにイタリアでプレーを続ける。
2シーズン目からは本領を発揮。
88/89から91/92までの4シーズンで42ゴールを挙げる活躍を見せる。
ドイツ時代のようなゴール量産とまではいかなかったが、勝利に繋がる重要な場面での得点が多かった。
また、ローマダービーでの活躍が素晴らしく、ローマサポーターから絶大な支持を得るようになった。
90/91シーズンには国内カップでの優勝を果たしている。

92/93シーズンからはフランスのオリンピック・マルセイユに活躍の場を移す。
当時、フランスで無敵の強さを誇り、チャンピオンズカップでも優勝を狙えるほどになっていたマルセイユは、
ACミランに移籍したパパンの後釜としてフェラーを迎えた。

フェラーはボクシッチとの2トップを組み、トップ下のアベディ・ペレの天才的なプレーからゴールを量産、リーグ優勝に大きく貢献。

チャンピオンカップでも2トップの活躍でチームは順調に勝ち進む。

決勝では、当時ヨーロッパ最強の名をほしいままにしていたACミランと対戦。
コーナーキックから、ボリのヘディングゴールが決まり。
その1点を守りきり、フランスに初のビッグイヤーをもたらした。

93/94シーズン、フェラーは極度の不振に陥り、リーグ戦25試合でわずか6ゴールしか挙げる事ができなかった。
さらに、チームが八百長事件に関わっていたということで、3部まで落とされてしまうという処分を受け、チームを去ることになる。

94/95シーズンからはドイツに戻り、バイヤー・レヴァークーゼンでプレー。
キルシュテン、P・セルジオ、シュスターらと共に攻撃的サッカーを展開。
チームの成績は振るわなかったが、フェラーは16ゴールを挙げ、健在振りをアピールした。
95/96シーズンも10ゴールを挙げる活躍を見せたが、シーズン終了後に現役引退を発表した。


代表では90試合で47ゴールという、素晴らしい成績を残している。
82年に代表デビューを果たすと、84年の欧州選手権に出場。2ゴールを挙げるが決勝トーナメント1回戦で敗れた。

86年のW杯では、フェラーはスーパーサブとして活躍することになる。
フェラーは準決勝のフランス戦に途中出場すると、1ゴールを挙げ宿敵フランスを沈めた。
決勝では再び途中出場すると、同点弾をねじ込み勝負強さを発揮する。
結局、アルゼンチンに競り負け優勝を逃したが、フェラーの活躍は西ドイツ国民を熱くした。

88年の欧州選手権では、新進気鋭のストライカー、クリンスマンと2トップを組む。
西ドイツは準決勝でオランダと対戦。この事実上の決勝戦は熱戦の末、ファン・バステンの決勝ゴールで敗れる。


90年のW杯。西ドイツはクリンスマン、フェラー、マテウスらの攻撃陣の素晴らしい活躍で、圧倒的な強さでグループリーグを勝ち上がる。
決勝リーグ一回戦の相手は、宿敵オランダであった。
この試合の前半22分にフェラーはライカールトと揉め事を起こし、両者退場となってしまう。
(ライカールトがピッチを去る時に、フェラーの後頭部につばを吐きかけたシーンは有名)
この試合、クリンスマンとブレーメの活躍でオランダに勝利。
フェラーは準決勝から復帰し、決勝では決勝点となるPKを誘い、優勝に大きく貢献し、スタッジオ・オリンピコに念願のワールドカップを掲げた。

94年のW杯では、当初スタメンであったリードレの不振から、フェラーが再びクリンスマンと2トップを組む事になった。
ベルギー戦で「阿吽の呼吸」で2ゴールを挙げ活躍が期待されたが、準々決勝、伏兵ブルガリアに破れ、代表を引退した。


現役引退後の2000年。ドイツ代表に就任するはずであったダウムがコカイン使用で逮捕されたため、突如フェラーが監督に就任する。
00年の欧州選手権では予選リーグ敗退し、スター選手も居ず、期待もされていないチームを率いてW杯に挑み、誰も予想していなかった決勝にまで導いた手腕は見事だった。



私にとってドイツ代表のストライカーと言えば、フェラーと言えるほど、印象深い選手です。
見方にすれば最高ですが、相手にするとこれほどイヤ選手はいないでしょう。
最後まで試合を諦めず、ボールを追い続ける姿は本当にかっこいい。

90W杯で揉め事を起こしたライカールトとは、その後再会し、互いに誤りを認め謝罪、友好の握手を交わしています。


06年W杯で日本代表の柳沢選手がクロアチア戦でゴールを外したのを見て、
かつての盟友リトバルスキーが「フェラーならギプスをしてでも決めた」と言ったそうです。