【 クリストフ・デュガリー (Christophe Dugarry) 189/78 1972-3-24  FW



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
88 / 89 ボルドー Fra1 2 0
89 / 90 ボルドー Fra1 0 0
90 / 91 ボルドー Fra1 32 3
91 / 92 ボルドー Fra2 27 4
92 / 93 ボルドー Fra1 35 6
93 / 94 ボルドー Fra1 35 9
94 / 95 ボルドー Fra1 32 9
95 / 96 ボルドー Fra1 24 5
96 / 97 ACミラン Ita1 21 5
97 / 98 FCバルセロナ Spa1 7 0
オリンピック・マルセイユ Fra1 9 1
98 / 99 オリンピック・マルセイユ Fra1 28 4
99 / 00 オリンピック・マルセイユ Fra1 15 3
ボルドー Fra1 12 4
00 / 01 ボルドー Fra1 22 5
01 / 02 ボルドー Fra1 18 2
02 / 03 ボルドー Eng1 13 0
バーミンガム・C Eng1 16 5
03 / 04 バーミンガム・C Eng1 10 1
04 / 05 カタールSC Qat1 - -
  計 358 66

身長は高いがヘディング、ポストプレーだけでなく、テクニックとスピードを兼ね備えた選手であった。
センターフォワード、ウイング、セカンドトップとしてプレーすることができ、どのポジションでも質の高いプレーを見せた。
しかし、FWとしては得点力の低い選手であったため、クラブでも代表でも批判されることが多かった。


若き日のデュガリーはボルドーで親友ジダンとのコンビで活躍。
その活躍は次第に海外からも注目されるようになる。

その評価が決定的となったとは、95/96シーズンUEFAカップ。
強豪チームを次々と破り決勝に進出する。優勝はできなかったが、シーズン終了後、移籍マーケットでジダンと共に注目される存在となる。


96/97シーズンにジダンはユベントス、デュガリーはACミランに移籍することとなった。
その後、世界的なスーパースターになっていくジダンとは違い、デュガリーは厳しいシーズンを送ることになる。


ACミランは当時、黄金期を築いてきたカペッロ監督から、新しい監督に代わったばかりで、チームもベテランが多く変換期に入ったところだった。
このシーズン、デュガリーの他にクラーファートも加入し、ウェア、クライファート、デュガリー、R・バッジオ、サビチェビッチで強力FW陣を揃えたが、
結果は散々なもので、優勝争いに一度も絡むことなく最悪シーズンになった。
デュガリーはフル出場は少なかったが、5得点を挙げ、まずまず評価を得たがイタリアサッカーに嫌気が差し、翌97/98シーズンFCバルセルナに移籍することになる。
しかしFCバルセロナに移籍するも、レギュラー争いに敗れ、ほとんど出場機会もないまま、シーズン途中にマルセイユに移籍する。


マルセイユに移籍したデュガリーは再び以前のような輝きを徐々に取り戻すが、怪我もありフル回転とはいかなかった。
98/99には優勝こそ逃したが、ラヴァネッリ、モーリスらと共に攻撃陣を引っ張る活躍を見せている。


その後、古巣ボルドーに移籍するも、充分な活躍をすることはできなかった。

02/03シーズンには、チームでの活躍の場を完全に失い、シーズン途中にイングランドのバーミンガム・Cに移籍。
ここでベストフォームを取り戻し、降格争いをしているチームを引上げる大車輪の活躍を見る。
しかし、翌03/04シーズンの開幕直後に怪我をしてしまい、調子を取り戻せず、04/05シーズンにはカタールに年金稼ぎに出かけてしまった。



代表では、55試合で8ゴールの成績を残している。
相変わらずの得点力の低さから、批判の矢面に立たされることが多く、「代表に招集されるのは、ジダンと仲がいいからだ」と言われることも少なくなかった。

しかし地元フランスワールドカップでは、得点力不足のチームで初得点を挙げるなどの活躍をする。
また、EURO2000ではウイングとして出場し、決勝では素晴らしいプレーを見せ、優勝に大きく貢献した。



いい選手だと思うんだけど、好不調の波が大きい。ボルドーからいきなりACミランではなく中堅クラスのチームでワンステップ置いた方が良かったと思う。
全盛期にコンスタントに活躍できるチームに所属して欲しかった選手です。







inserted by FC2 system