
【 トーマス クリスティアンセン 】 180/73 1973-3-11 ![]()
FW
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 91 / 92 | FCバルセロナ(B) | Spa2 | 20 | 4 |
| 92 / 93 | ヒホン | Spa1 | 10 | 4 |
| 93 / 94 | FCバルセロナ(B) | Spa2 | 4 | 2 |
| FCバルセロナ | Spa1 | 1 | 0 | |
| オサスナ | Spa1 | 14 | 1 | |
| 94 / 95 | ラシン・サンタンデール | Spa1 | 15 | 1 |
| 95 / 96 | FCバルセロナ(B) | Spa2 | 15 | 8 |
| FCバルセロナ | Spa1 | 2 | 0 | |
| オビエド | Spa1 | 16 | 5 | |
| 96 / 97 | オビエド | Spa1 | 31 | 0 |
| 97 / 98 | オビエド | Spa1 | 3 | 0 |
| ビジャレアル | Spa2 | 22 | 5 | |
| 98 / 99 | ビジャレアル | Spa2 | 19 | 1 |
| 99 / 00 | Terrassa | Spa3 | 17 | 5 |
| Panionios | Gre1 | 12 | 3 | |
| 00 / 01 | Herfolge BK | Den1 | 4 | 2 |
| ボーフム | Dui1 | 12 | 1 | |
| 01 / 02 | ボーフム | Dui2 | 30 | 17 |
| 02 / 03 | ボーフム | Dui1 | 34 | 21 |
| 03 / 04 | ハノーファー96 | Dui1 | 26 | 9 |
| 04 / 05 | ハノーファー96 | Dui1 | 25 | 2 |
| 05 / 06 | ハノーファー96 | Dui1 | 4 | 1 |
| 計 | 336 | 92 |
人生わからないものだなと、この選手の経歴を見てみれば改めて思う。
才能豊かなストライカーと言われながら、その才能をなかなか発揮することはできなかった。
様々なクラブを渡り歩いた末、トップデビューから10年後に成功を掴み取った選手である。
高いレベルのテクニックを持ち、ドリブルも得意とする左利きのアタッカー。
しかしフィジカルの面で難があり、当たりに非常に弱く、90分間走ることのできる体力を持ってはいない。
いわゆる一昔前のテクニシャンタイプの選手である。
デンマークのコペンハーゲンに生まれ、その類稀なる才能はすぐに注目され、16歳の頃にはレアル・マドリードのユースチームにも一時籍を置いていた。
その後、再びデンマークに戻るが、91年にはFCバルセロナのヨハン・クライフによってバルセロナに引き抜かれることになる。
FCバルセロナに移ってからは、トップチームの分厚い選手層の関係で、Bチームでプレーすることになったが、
その類稀なる才能はすぐに評価され、U21のスペイン代表から声が掛かる。
FCバルセロナの外国人枠の関係もあったため、クリスティアンセンはスペイン国籍を選択することとなった。
92/93シーズンには、レンタルでヒホンに移籍し4ゴールを挙げる活躍を見せる。
翌93/94シーズンには、バルセロナに復帰しトップチームでデビューもするが、出場機会は限られており、シーズン中に再びレンタル移籍する。
しかし、このシーズン中にはクレメンス監督により代表にわずか19歳で召集される。
トップでのプレー経験があまりなかったのにも関わらず、代表に召集されたためかなり注目される存在となる。
93年のメキシコとの親善試合で代表デビューし、その後のW杯予選のリトアニア戦では初ゴールを挙げている。
94/95シーズンには、ラシン・サンタンデールに活躍の場を移すが、そこでも活躍はできず、翌95/96シーズンには再びFCバルセロナに復帰する。
このシーズンBチームで素晴らしい活躍を見せ、再び世間の注目を浴び、誰もがトップチームでの活躍を確信していた。
しかし、トップチームではほとんど活躍の場を与えられることもなく、再びシーズン途中に別のチームに移籍することになる。
なぜ、素晴らしい動きをみせていたにも関わらず活躍の場を与えられなかったのか。
それは、ジョルディ・クライフの存在であったからである。
クライフ監督は、クリスティアンセンとタイプの似た息子のジョルディ・クライフを優先的に出場させたのである。
実力でトップチームへ昇格したにも関わらず、クライフ親子によりチームを追い出されることとなった。
チームの不調もあり、クライフ監督はこの件に関してサポーターから痛烈な批判を受ける事になる。
その後、移ったオビエドではバルセロナでの屈辱を晴らすべく見事な活躍を見せ自らの実力を証明した。
しかし、翌シーズンには1ゴールも挙げることはできず、その後、目立った活躍は無く表舞台から姿を消す。
毎シーズンのように移籍を繰り返すが、どこのチームでも活躍はできなかった。
00/01シーズンには母国デンマークに戻りプレー。
デンマークでは多くの試合に出場したわけではなかったが、まずまずの活躍を見せたことで、ブンデスリーガのボーフムがクリスティアンセンを獲得する。
しかし、ドイツの地でも結果を残すことはできず、チームは2部に降格。
01/02シーズン、ブンデスリーガの2部でプレーすることになるのだが、ここで長岐に渡り秘められていた才能が、ついに開花することになる。
2トップを組んだハシェミアンとのコンビネーションは抜群で、さらにゲームメーカーのボッシュや、バックリー、フライアーのサポートを受け突如ゴールを量産。
クリスティアンセンは17ゴールを挙げる大活躍を見せ、チームを1部昇格に導いたのである。
02/03シーズン、ボーフムは1部昇格に導いた主力をほとんどそのまま使い、1部での戦いに挑んだ。
サポートに恵まれたクリスティアンセンは、その才能を1部でも思う存分発揮する。
開幕からの2試合で5ゴールを挙げる驚異的な活躍を見せると、その後もシーズンを通しゴールを挙げ続ける。
最終的には21ゴールを挙げ、バイエルン・ミュンヘンのエウベルに並びリーグの得点王に輝く。
翌03/04シーズンにはその活躍が評価され、ハノーファー96に引き抜かれる。
ここではボーフム時代のようにサポートに恵まれなかったため、ゴール数は減少したがブルタリッチとのコンビで活躍した。
しかしその後、膝などの怪我で手術を繰り返し、徐々にピッチから離れていった。
05/06シーズン終了後にはハノーファー96退団。
まだ、引退はしていないようだが、その後どのクラブにも所属はしていない。
スペイン代表での通算成績は、2試合で1ゴールである。
現在でこそ、多くの外国人選手がFCバルセロナの各カテゴリーで活躍し、
トップデビューするという例は多く見られますが、その先駆けとなったのがこのクリスティアンセンです。
FCバルセロナ時代に一時期騒がれた選手でしたが、その後全く名前を聞かなくなって、完全に存在を忘れていました。
ボーフムでゴールを量産してる「クリスティアンセン」って何者だ・・・?と思って調べてみたら彼でした。
FCバルセロナではジョルディとポジションを争うという不運を経験し、その後もクラブを転々としたサッカー人生は本当に可哀想なものでした。
しかし、それらの苦労の末掴んだ成功は、賞賛に値すると思います。
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