
【 アレッサンドロ コスタクルタ 】 182/75 1966-4-24
DF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 86 / 87 | モンツァ | Ita3 | 30 | 0 |
| 87 / 88 | ACミラン | Ita1 | 7 | 0 |
| 88 / 89 | ACミラン | Ita1 | 26 | 0 |
| 89 / 90 | ACミラン | Ita1 | 26 | 1 |
| 90 / 91 | ACミラン | Ita1 | 25 | 0 |
| 91 / 92 | ACミラン | Ita1 | 30 | 1 |
| 92 / 93 | ACミラン | Ita1 | 31 | 0 |
| 93 / 94 | ACミラン | Ita1 | 30 | 0 |
| 94 / 95 | ACミラン | Ita1 | 27 | 0 |
| 95 / 96 | ACミラン | Ita1 | 30 | 0 |
| 96 / 97 | ACミラン | Ita1 | 30 | 0 |
| 97 / 98 | ACミラン | Ita1 | 29 | 0 |
| 98 / 99 | ACミラン | Ita1 | 29 | 0 |
| 99 / 00 | ACミラン | Ita1 | 27 | 0 |
| 00 / 01 | ACミラン | Ita1 | 18 | 0 |
| 01 / 02 | ACミラン | Ita1 | 21 | 0 |
| 02 / 03 | ACミラン | Ita1 | 18 | 0 |
| 03 / 04 | ACミラン | Ita1 | 22 | 0 |
| 04 / 05 | ACミラン | Ita1 | 13 | 0 |
| 05 / 06 | ACミラン | Ita1 | 15 | 0 |
| 06 / 07 | ACミラン | Ita1 | 3 | 1 |
| 計 | 487 | 3 |
80年代後半からのACミラン黄金時代を支えた功労者。
オランダトリオ、バレージ、マルディーニらの活躍が大きく取り上げられ、彼らの陰に隠れた感は否めないが、彼の存在無くしてACミランの成功はありえなかった。
決して身体能力が高いというわけではないが、素晴らしい判断力と高い戦術眼を武器に守備のスペシャリストとして40歳までトップレベルで活躍した。
ACミランのユースでサッカーを学び、トップデビューを前に3部リーグのモンツァに1シーズン武者修行を経験。
87/88シーズンには、ACミランでトップデビューを果たし、控えメンバーであったがリーグ優勝を経験する。
翌88/89シーズンには、サッキのサッカーを完全に理解し、徐々に出場機会を増やしていき、シーズン途中からはレギュラーに定着。
4バックにはバレージ、コスタクルタ、マルディーニ、タソッティを固定し、この鉄壁に最終ラインはイタリアだけでなくヨーロッパ全土の脅威となる。
このシーズン、リーグ優勝は逃すものの、チャンピオンズカップでは優勝を果たし、23歳にしてヨーロッパの頂点に立った。
89/90シーズンも、リーグ優勝は惜しくも逃したが、チャンピオンズカップでは驚異的な強さを発揮する。
バレージ、コスタクルタを中心に、完璧にコントロールをされた最終ラインの前では、ヨーロッパの各国の強豪の攻撃陣も無力と化した。
準決勝ではレアル・マドリードに2戦合計で6対1と圧勝。
決勝ではステアウア・ブカレストを4対0で破り連覇を果たした。
91/92シーズン、ACミランはイタリア代表監督に就任したサッキ監督の後任に、カペッロ監督を招聘する。
カペッロもまたサッキと同じようにコスタクルタに全幅の信頼を寄せる。
このシーズンから、リーグ3連覇を果たし、93/94シーズンには総失点15という驚異的な記録を作っている。
CLでは92/93シーズンから3年連続で決勝まで駒を進める。
92/93、94/95シーズンには、マルセイユとアヤックスに惜敗しているが、93/94シーズンには見事にヨーロッパの頂点に立っている。
ヨーロッパでぶっちぎりの強さを見せた黄金期は終わったものの、その後もACミランはヨーロッパ有数の強豪であり、コスタクルタは縁の下の力持ちとして、チームを支え続けた。
00/01シーズン頃からは、カラーゼやネスタらの加入により、ベンチを温める機会が多くなる。
01/02シーズンに監督に就任したアンチェロッティもリーグ戦では常時スタメンとしては起用しなかったが、
決して信頼していなかったわけではなく、重要な試合ではコスタクルタを起用した。
02/03シーズンのCLの決勝ユベントス戦でもスタメンで起用される。
試合前には限界説なども囁かれたが、見事にユベントスを完封。
PK戦の末の勝利に大きく貢献した。
その後もチームの貴重な戦力、そしてマルディーニと共にリーダーとしてチームを牽引した。
06/07シーズン、国内カップ準決勝ローマ戦ではトッティやマンシーニのスピードに全くついていくことができず、さらにオウンゴールまで記録してしまい、この試合後現役引退を発表した。
このシーズン最後となるサンシーロでの試合にスタメンで出場。
コスタクルタはスタンドからの拍手でピッチに迎えられると、グルギョフが倒されて得たPKを決め、15年ぶりの得点を記録しラストマッチを飾った。
代表では59試合2得点の成績を残している。
ACミランでは23歳でヨーロッパの頂点に立ち、すでに世界的なDFとして認知されていたが、代表にデビューしたのは、恩師サッキ監督が就任した25歳の時であった。
94年のW杯では、ミランと同じバレージ、コスタクルタ、マルディーニ、タソッティの4バックで大会に挑んだ。
しかし、タソッティは肘打ちにより出場停止となり、パートナーであるバレージは膝の負傷の為ピッチを去ってしまった。
マルディーニとコスタクルタがセンターを組むこととなったが、コスタクルタは見事にマルディーニをフォローし、
イタリアに鉄壁のディフェンスを築き上げ、決勝進出の原動力となった。
決勝では復帰したバレージとともに、当時世界最高と言われていた、ロマーリオとベベットの2トップを完封したが、PK戦の末優勝を逃した。
その後、96年の欧州選手権、98年のW杯に出場はしたが目だった活躍を見せることはできなかった。
バレージ、マルディーニというイタリアサッカーの歴史に残る2人のDFと比べれば地味かもしれませんが、コスタクルタも間違いなく偉大な選手だと思います。
現役時代にACミランで獲得したタイトルはヨーロッパチャンピオン4回、リーグ優勝7回と数え上げればきりはありません。
96/97シーズン、チームが不調だった頃、わがままな言動が目立ち、チームの輪を乱していたダービッツを「腐ったリンゴ」と非難したのは非常に有名です。
トヨタカップでは、ヴェレス戦でバックパスを奪われ決勝点を挙げられ、チームメイトのサビチェビッチから「負けたのはコスタクルタのせい」と言われ、
PK戦へともつれたボカ・ジュニアーズ戦では、おもっきり地面を蹴ってしまいPKを失敗し敗れるなど、あまりいい思いでは無いようです。
ACミランでは通算457試合に出場していますが、得点はわずか3点しか挙げていません。
セットプレーでもあまり上がっていくことは無かったとはいえ、152試合に1点という割合はある意味すごい。