【 フランチェスコ・ココ (Francesco Coco) 181/78 1977-1-8  MF/DF



シーズン 所属 試合 ゴール
95 / 96 ACミラン Ita1 5 0
96 / 97 ACミラン Ita1 14 0
97 / 98 ヴィチェンツァ Ita1 20 0
98 / 99 ACミラン Ita1 6 0
99 / 00 トリノ Ita1 21 0
00 / 01 ACミラン Ita1 30 2
01 / 02 ACミラン Ita1 1 0
FCバルセロナ Spa1 23 0
02 / 03 インテル Ita1 20 0
03 / 04 インテル Ita1 3 0
04 / 05 インテル Ita1 3 0
05 / 06 インテル Ita1 0 0
リヴォルノ Ita1 28 0
06 / 07 インテル Ita1 0 0
トリノ Ita1 3 0
177 2

ダイナミックなプレーが持ち味の左サイドのスペシャリスト。
守備はもちろんのこと、絶妙のタイミングでの攻撃参加を武器とし、戦術理解度も高く、若くからマルディーニの後継者として期待された。
しかし、好不調の波が大きく監督からの信頼をなかなか得ることができず、多くの移籍を繰り返した。
また、キャリアのピークとも言える時に多くの故障でピッチに立つことができなかった。

地元のコモのユースでサッカーを学び、14歳でACミランのユースに引き抜かれる。
その抜群のサッカーセンスでACミランのプリマヴェーラで抜群の成績を収めると、18歳でトップデビューを果たす。
マルディーニと同じポジションで、マルディーニ以上の色男、さらにダイナミックなオーバーラップで、イタリア全土から注目を浴びることとなった。

バレージの引退後、マルディーニがセンターバックへコンバートされた際に、左サイドバックとして活躍する予定であった。
しかし、バレージはなかなか衰えを見せることはなかった。

分厚い選手層を誇るACミランではなかなか出場機会を得ることはできず、97/98シーズンにはヴィチェンツァにレンタル移籍。

98/99シーズンにはACミランに復帰するも、99/00シーズンには再びトリノへレンタルされることとなった。

トリノでまずまずの活躍を評価した、当時のACミランの監督であったザッケローニはチームに呼び戻し、左サイドバックに固定する。
00/01シーズン、ついにACミランの左サイドバックのポジションを得たココは、シーズンを通して素晴らしい活躍を見せる。
その活躍は国内だけに留まらず、CLでも抜群の動きを見せた。
しかし、ココの活躍とは反対にチームの成績は低迷。

ココに信頼を置いていたザッケローニはこのシーズン終了後にチームを去り、新しくトルコ人の監督が就任した。
01/02シーズン、ACミランの指揮をとったテリムはまったくココを評価しなかった。

活躍の場を失ったココは、シーズン途中にFCバルセロナに移籍。
イタリア人として初めてバルセロナのユニフォームに袖を通したココは、セルジとのポジション争いを制し23試合に出場したが、これと言って特筆すべき活躍はできなかった。

02/03シーズンからは、インテルに活躍の場を移す。
しかし、この頃から多くの故障に悩まされることとなる。
このシーズンは、シーズン序盤をヘルニアの悪化で棒に振るが、復帰してからは、鬱憤を晴らすかのように驚異的なパフォーマンスを披露した。

しかし、その後は筋肉の故障や、ヘルニアなどにより長岐に渡りプレーの機会を失ってしまう。

04/05シーズンには故障が癒え、チームに復帰するが、マンチーニ監督とはそりが合わず、チームから干されてしまう。

05/06シーズンには、レンタルでリボルノへ移籍。
ここでドナドーニ監督のバックアップを得て、完全復活を遂げる。
しかし数年間、シーズンを通してプレーしたことのなかったココは、シーズン終盤に徐々に調子を落としていく。
そして無理を押して出場した試合で靭帯断絶の大けがを負ってしまう。

06/07シーズン、インテルに復帰するが、監督にも冷遇され、故障も抱えているココには居場所はなく。
シーズン途中に再びレンタル移籍をする。

トリノに移ったココであったが、シーズンわずか3試合の出場に留まり。
このシーズンを最後にユニフォームを脱いだ。

イタリア代表としては19試合に出場。
2002年のW杯欧州予選に主力として出場し、予選突破に大きく貢献した。
W杯本戦では2試合に出場している。

その抜群のルックスを生かして、引退後はハリウッドデビューを目指すことを宣言しています。
かなりのプレイボーイだったらしく、サッカー以外で目立つことが多かったようです。







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