【 車 範根 (Cha Bum-Kun) 179/79 1953-5-22  FW



シーズン 所属チーム 試合 ゴール
71 Korean Air Force Kor1 - -
72 Korean Air Force Kor1 - -
73 Korean Air Force Kor1 - -
74 Korean Air Force Kor1 - -
75 Korean Air Force Kor1 - -
76 Korean Air Force Kor1 - -
77 Korean Air Force Kor1 - -
78 Korean Air Force Kor1 - -
78 / 79 ダルムシュタット Deu1 1 0
79 / 80 フランクフルト Deu1 31 12
80 / 81 フランクフルト Deu1 27 8
81 / 82 フランクフルト Deu1 31 11
82 / 83 フランクフルト Deu1 33 15
83 / 84 バイヤー・レバークーゼン Deu1 34 12
84 / 85 バイヤー・レバークーゼン Deu1 29 10
85 / 86 バイヤー・レバークーゼン Deu1 34 17
86 / 87 バイヤー・レバークーゼン Deu1 33 6
87 / 88 バイヤー・レバークーゼン Deu1 25 4
88 / 89 バイヤー・レバークーゼン Deu1 30 3


80年代のアジアを代表するストライカーであると共に、当時のヨーロッパ屈指のストライカーでもあった。
圧倒的なフィジカルの強さは、当時世界最高峰のブンデスリーガでも抜きんでており、強引な突破からの弾丸シュートで多くのゴールを奪った。

兵役終了後、空軍のプロチームに所属し活躍する。
圧倒的な実力で、すぐに韓国を代表する選手となり、その評価はヨーロッパまで伝わることとなる。

78/79シーズン、西ドイツのダルムシュタットというクラブにスカウトされ移籍することとなった。
しかし、そのシーズンは期待外れに終わり、翌シーズンにはフランクフルトに活躍の場を移した。

そして、79/80シーズンにブレイク。
シーズン通してレギュラーとして活躍。12ゴールという成績を挙げ、さらにはUEFAカップ優勝にも大きく貢献。
その後、4シーズンにわたりフランクフルトのエースとして活躍、サポーターからも絶大な人気を誇った。

83/84シーズンからは、レバークーゼンでプレー。
ここでも、期待通りの活躍を見せ、6シーズンで52ゴールを記録している。
87/88シーズン、再びUEFAカップ決勝に進出。
エスパニョールとの決勝では、貴重なゴールを奪い優勝の原動力となった。

ブンデスリーガの98ゴールは、外国人選手として歴代3位の記録である。



88/89シーズンを最後に現役を引退。

代表としては121試合に出場し、55ゴールを挙げている。


97年からは韓国代表の監督に就任し、W杯予選を危なげなく通過。
しかし、W杯本戦のグループリーグで2連敗を喫し、大会途中で解任されている。


奥寺康彦と共にアジアの実力をヨーロッパに知らしめた人物です。
そのプレースタイルと、真面目な性格でドイツ全土で非常に人気があったそうです。
98年W杯では大会途中で更迭されるという悲惨な目に会っていますが、あの2連敗は車範根に責任はないと思います。



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