
【 トマス ブローリン 】 176/73 1969-11-29
MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 87 | GIF Sundsvall | Swe1 | 13 | 3 |
| 88 | GIF Sundsvall | Swe1 | 21 | 6 |
| 89 | GIF Sundsvall | Swe1 | 21 | 4 |
| 90 | IFK Norrkoping | Swe1 | 9 | 7 |
| 90 / 91 | パルマ | Ita1 | 33 | 7 |
| 91 / 92 | パルマ | Ita1 | 34 | 4 |
| 92 / 93 | パルマ | Ita1 | 22 | 4 |
| 93 / 94 | パルマ | Ita1 | 29 | 5 |
| 94 / 95 | パルマ | Ita1 | 11 | 0 |
| 95 / 96 | パルマ | Ita1 | 4 | 0 |
| リーズ・U | Eng1 | 19 | 4 | |
| 96 / 97 | FC Zurich | Swi1 | 3 | 0 |
| パルマ | Ita1 | 11 | 0 | |
| 97 / 98 | クリスタル・パレス | Eng1 | 13 | 0 |
| 98 | Hudiksvalls | Swe1 | - | - |
大柄な選手の多いスウェーデンにおいて小柄な方ではあったが、高度なテクニックと豊富な運動量を兼ね備えている。
柔らかいタッチのドリブルでDFを翻弄し、多くのチャンスを生む出すと共に、多くのゴールも挙げている。
抜群のボディバランス誇り、相手DFと接触しながらもバランスを保ち、突き進んでいくドリブルはマラドーナを彷彿とさせた。
地元クラブのGIF Sundsvallで18歳でプロデビューすると、驚異的なパフォーマンスで瞬く間にスウェーデン中から注目を浴びる存在となる。
スウェーデンにはあまりいないタイプの選手であったため、国民はそのプレーに注目し、その中でさらに才能を伸ばしていく。
90シーズンには、強豪チームであるIFK
Norrkopingに移籍する。
90年のW杯には21歳の若さで攻撃のリーダーとして出場する。
ブローリンは随所を素晴らしいプレーを見せ、ブラジル戦では見事なゴールを決めたが、グループリーグ3連敗で大会を去る。
この屈辱的な3連敗が、その後スウェーデンを大きく成長させることとなる。
国内リーグでの活躍と、W杯の活躍ですでにヨーロッパの多くのクラブから熱い視線を送られていたブローリンは、かねてから熱心に誘いを受けていたイタリアのパルマに移籍する。
このシーズン、パルマは1部に初めて昇格を果たし、さらに2人の実力のある外国人選手を補強。
一人はブラジル代表のタファレル、もう一人はベルギー代表のグルンであった。
さらにメッリやミノッティという有望な若手を抱えたパルマは、その後セリエAだけでなく、ヨーロッパを舞台に旋風を巻き起こす。
90/91シーズン、ノーマークであったパルマであったが、メッリとブローリンの2トップが咬み合い、
さらにミノッティとグルンを中心としたディフェンスが硬い守備を築きこう成績を残す。
91/92シーズンには、1部に昇格してまだ2シーズン目であるにも関わらず、コパ・イタリアで優勝を果たし、
初タイトルを獲得し、原動力となったブローリンは高い評価を得る。
そして、地元スウェーデンで開催された92年の欧州選手権を迎える。
この大会に絶好調の状態で入ったブローリンは素晴らしい活躍を見せる。
得意のドリブルは冴えに冴え、観る者を魅了した。
グループリーグの2試合で2つの決勝ゴールを挙げ、準決勝進出の原動力となる。
準決勝ではドイツ相手に2対3で惜敗するも、大会通算3ゴールを挙げ得点王に輝いた。
92/93シーズン、パルマは新しくアスプリージャという新戦力を加えさらに勢いを増していく。
セリエAでも上位を窺えるほどの実力をつけ、カップウイナーズ・カップでも勝ち進む。
決勝ではベルギーのアントワープを3対1で破り、初のヨーロッパタイトルを獲得した。
翌93/94シーズン、パルマはUEFAカップに出場。
ここでも、ヨーロッパの強豪と次々と倒し決勝に進出。
決勝ではユベントス倒し、2シーズン連続でヨーロッパタイトルを獲得した。
パルマはブローリンが加入してから、それまででは考えられないようなタイトルを数々獲得した。
そして、94年のW杯を迎える。
代表ではいつもと同じようにFWを務めるブローリンであったが、暑さの為か動きに精彩を欠いた。
チームは早々にグループリーグ突破を決めるも、調子は上がってこなかった。
そこで監督はブローリンをトップ下に置き、FWにはK・アンデションを置くというシステムを試みた。
すると、攻撃が一気に活性化する。
決勝トーナメント1回戦ではサウジアラビアを3対1で下し、2回戦のルーマニア戦では自身先制ゴールを挙げたが、その後試合はもつれ、PK戦の末勝利を挙げている。
そして、準決勝ではグループリーグで引き分けたブラジルと対戦。善戦したものの、ロマーリオの前に破れた。
3位決定戦では、自らもゴールを挙げブルガリアに勝利し、チームは3位という好成績を収めた。
さらに、大会ベスト11にも選ばれている。
この大会のブローリンはトップ下でテルン、シュワルツのサポートを得ながら、うまくゲームを組み立てたが、
本来の動きは最後まで見れず、得意のドリブル突破も陰を潜めた。
そして94/95シーズンを迎える。
このシーズン、パルマはポルトガル代表のF・コウトを獲得し、外国人は4人となっていた。
W杯の疲れからか、動きの悪いブローリンはベンチを温めることが多くなる。
しかし、チームは好成績を残し、徐々にパルマでは影の薄い存在となっていった。
さらに、欧州選手権の予選のハンガリー戦で故障をしてしまい戦線を離脱。
約半年後チームに復帰はするが、動きに精彩を欠いた。
パルマはユベントスと最後まで優勝争いを演じ、さらにUEFAカップでも優勝を果たしたが、ブローリンは完全に蚊帳の外の存在となっていた。
翌95/96シーズンもほとんど出番はなく、シーズン途中にイングランドのリーズ・Uに活躍の場を移す。
しかし、あまり活躍することはできなかった。
その後、スイスのチューリッヒに籍を移したり、パルマに復帰したりするなど、チームを転々としたが、復活をすることはできず、
98シーズン、スウェーデンのHudiksvallsというチームでのプレーを最後に、29歳の若さで現役を引退した。
クラブでも代表でもFWのポジションを務めることが多かったが、クラブではどちらかというとチャンスメイクの役割が多かった。
しかし代表では凄まじい決定力を誇り、47試合で26ゴールを挙げている。
素晴らしい才能を持ち、若くしてスターとなりましたが、怪我などの影響で29歳で引退してしまったのは本当に残念でした。
元々太りやすかった体質で、その影響もあったと言われています。
90年代前半の「ミラクルパルマ」と語る上で欠かせない人物です。
ゴールを挙げた後、「昇竜拳」のように右手を突き上げて回転するフォーマンスをいつもしていましたが、
はっきり言って、あんましかっこよくはなかったです。
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