
【 フレディ ボビッチ 】 188/82 1971-10-30
FW
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 92 / 93 | シュトゥットガルド・キッカーズ | Dui2 | 30 | 10 |
| 93 / 94 | シュトゥットガルド・キッカーズ | Dui2 | 32 | 16 |
| 94 / 95 | VfBシュトゥットガルド | Dui1 | 32 | 12 |
| 95 / 96 | VfBシュトゥットガルド | Dui1 | 26 | 17 |
| 96 / 97 | VfBシュトゥットガルド | Dui1 | 33 | 19 |
| 97 / 98 | VfBシュトゥットガルド | Dui1 | 29 | 13 |
| 98 / 99 | VfBシュトゥットガルド | Dui1 | 28 | 8 |
| 99 / 00 | ボルシア・ドルトムント | Dui1 | 29 | 7 |
| 00 / 01 | ボルシア・ドルトムント | Dui1 | 24 | 10 |
| 01 / 02 | ボルシア・ドルトムント | Dui1 | 3 | 0 |
| ボルトン・W | Eng1 | 16 | 4 | |
| 02 / 03 | ハノーファー96 | Dui1 | 27 | 14 |
| 03 / 04 | ヘルタ・ベルリン | Dui1 | 32 | 7 |
| 04 / 05 | ヘルタ・ベルリン | Dui1 | 22 | 1 |
| 05 / 06 | Rijeka | Cro1 | 6 | 2 |
| 計 | 369 | 140 |
長身を生かした空中戦を得意とし、高い得点能力でゴールを量産したストライカー。
スピードはないが、運動量が豊富でFWとは思えないほど非常に守備能力が高い。
92/93シーズンに、シュトゥットガルド・キッカーズでプロデビューを果たすと、すぐに結果を残し、94/95シーズンからは、VfBシュトゥットガルドに活躍の場を移す。
1部リーグでもその得点感覚を遺憾なく発揮する。
95/96シーズンからは、ブラジル人ストライカー、エウベルと、このシーズンに加入した司令塔バラコフと共に、
「魔法のトライアングル」と呼ばれる攻撃ユニットを形成し、リーグを席巻する。
ボビッチは17ゴールを挙げ、見事に得点王となる。
翌96/97シーズンには、この攻撃ユニットはさらなる進化を遂げる。
3人で50ゴールを挙げ、チームは一時優勝争いに食い込み、最終的には4位という好成績を残した。
VfBシュトゥットガルドでは、98/99シーズンまでの5シーズンプレーし、通算69ゴールという素晴らしい成績を残した。
99/00シーズンには、名門ボルシア・ドルトムントに、長年活躍したFWシャプイサの後釜として迎えられる。
このシーズン、チームもボビッチの成績も振るわなかったが、00/01シーズンにザマーが監督に就任するとチームは生まれ変わる。
ロシツキ、レイナ、リッケンらと共に、流れるようなサッカーを展開し、優勝は惜しくも逃したものの、3位という成績を残し、ボビッチも3シーズン振りとなる二桁ゴールを記録した。
その後も、ボルシア・ドルトムントの攻撃の中心として活躍すると思われていたが、ザマーはボビッチの働きをあまり高く評価してはいなかった。
01/02シーズンには、ヤン・コレルとアモローゾという一流のストライカーを2人獲得した。
これにより、活躍の場を失ったボビッチは、シーズン途中にイングランドのボルトンに放出される。
イングランドではあまり目立った活躍を見せることはできず、02/03シーズンには、ブンデスリーガ1部に昇格してきたハノーファーに移籍する。
ドイツに戻ったボビッチであったが、その存在はほとんど忘れられていた。
しかし、シーズンが開幕すると不調のチームの中で、一人気を吐きゴールを量産。
シーズンが終わってみると17ゴールを挙げ、ドイツ人最多ゴールを記録していた。
この大活躍が評価され、翌03/04シーズン、ヘルタ・ベルリンに迎えられる。
ベルリンでは最初はまずまずの活躍を見せたが、04/05シーズンからは年齢からくる衰えからかパフォーマンスが徐々に低下し、このシーズン終了後には放出された。
その後、新しい移籍先が見つからず、しばらくの間浪人として過ごしていたが、クロアチアのリエカからのオファーが届き、シーズン途中にピッチに復帰する。
6試合のみの出場となったが、最後まで現役にこだわり、2ゴールの結果を残した。
そして、このシーズン終了後には現役を引退した。
ドイツ代表としては37試合で10ゴールという成績を残している。
94年のW杯後に代表デビュー。
96年の欧州選手権にはメンバーに名を連ねるが、フォクツ監督はクリンスマンとクンツの2トップを選択したためピッチに立つ機会は限らてれいた。
しかし、大会中ドイツ代表に怪我人が続出したため、フォクツはボビッチの高い守備能力を買い、ディフェンシブなポジションで起用する。
その起用には誰もが驚いたが、試合が始まると冷静な動きを見せ勝利に貢献し、ドイツ代表は危機を乗り切る。
ゴールこそなかったが、96年の欧州選手権優勝に大きく貢献したと言える。
その後、98年のW杯予選では活躍を見せたが、本選へのメンバーから外れると代表から離れてしまう。
しかし、ハノーファーでのパフォーマンスが評価され02年に代表復帰。
当時代表監督であったフェラーはボビッチを評価していたなったため、召集には消極的であった。
しかし、他のFWが怪我で辞退したため、運よく代表に復帰。
復帰戦ではチームは敗れたが、唯一の得点を挙げ、その気迫溢れるプレーはフェラー監督のハートを掴み、その後の04年の欧州選手権の予選では主力として予選突破に大きく貢献した。
しかし04年欧州選手権本戦では、チームの不調もあり見せ場はなかった。
ボルトンに渡り、そこで活躍できなかったときは、もう完全に終わったんだなって思いましたが、見事な復活を遂げました。
ハノーファーで復活した時は、シュトゥットガルド時代よりもずっとゴールへの執念を感じさせる凄みのある選手になっていました。