
【 ビスマルク 】 177/78 1969-9-17
MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 87 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 1 | 0 |
| 88 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 24 | 8 |
| 89 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 17 | 8 |
| 90 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 16 | 5 |
| 91 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 7 | 2 |
| 92 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 20 | 5 |
| 93 | ヴェルディ川崎 | Jap1 | 17 | 6 |
| 94 | ヴェルディ川崎 | Jap1 | 42 | 14 |
| 95 | ヴェルディ川崎 | Jap1 | 51 | 11 |
| 96 | ヴェルディ川崎 | Jap1 | 27 | 5 |
| 97 | 鹿島アントラーズ | Jap1 | 32 | 11 |
| 98 | 鹿島アントラーズ | Jap1 | 30 | 6 |
| 99 | 鹿島アントラーズ | Jap1 | 23 | 7 |
| 00 | 鹿島アントラーズ | Jap1 | 26 | 3 |
| 01 | 鹿島アントラーズ | Jap1 | 26 | 6 |
| 02 | フルミネンゼ | Bra1 | - | - |
| ゴイアス | Bra1 | 10 | 1 | |
| 03 | ヴィッセル神戸 | Jap1 | 9 | 0 |
高度なテクニックと広い視野を持ち、的確なパスワークでゲームを組み立てたMF。
ブラジル人の司令塔によくあるドリブルを得意とし、フェイントやトリッキーな動きでDFを翻弄するというタイプではない。
得点力も高く、FKからの得点も多いが、この選手の最高の武器はやはりスルーパスである。
寸分の狂いも無いスルーパスで多くの得点を演出し、チームに多くにタイトルをもたらした。
名門ヴァスコ・ダ・ガマの育成部門で優秀な成績を残し、87シーズンにはトップデビューを果す。
87年のワールドユースのメンバーに入る。
大会ではブラジルはいい成績を残す事はできなかったが、ビスマルクの才能は注目を浴びることとなった。
88シーズンから、レギュラーとしてプレー。
このシーズン、ロマーリオに多くのアシストを記録し、司令塔の座を不動のものとする。
89シーズンには、ロマーリオが移籍しベベットが加入する。
このシーズンのヴァスコ・ダ・ガマにはベベットの他に、若き日のソニー・アンデルソン、チタ、ロベルト・ダイナマイトという個性豊かなFWが所属していた。
それらのFWをトップ下で自由自在に操ったのがビスマルクであった。
圧倒的な攻撃力で見事にブラジル全国選手権を制覇し、ブラジル屈指の司令塔として認知されるようになる。
そして、迎えた89年のワールドユースでは、ソニー・アンデルソン、レオナルド、マルセロ・エンリケらと共に活躍。
2トップのゴール量産を演出し、自らも3ゴールを挙げ、ブラジルは3位という好成績を残す。
そして、ビスマルクは大会MVPに選ばれた。
90年のW杯では、国内リーグでの活躍が評価されメンバー入り。
しかし、出場機会はなく、ブラジルも決勝トーナメント1回戦で敗れた。
その後も、ヴァスコ・ダ・ガマでプレーを続けるが、92シーズン終了後には多くのクラブからオファーを受けることになる。
そのオファーの中には、当時南米最強のチームであったサンパウロFCからのもの、スペインのチームからのものなどがあり、
どれも魅力的なものであったが、意外にも次に選んだ活躍の場は日本であった。
93シーズン、ビスマルクはプロサッカーリーグが出来て間もない日本の地に降り立った。
このシーズン、ヴェルディ川崎は優勝が必須条件となっていたが、司令塔不在でなかなか波に乗れない状況であった。
ビスマルクはチームに加入するとチームの攻撃陣をすぐに掌握。
圧倒的なポテンシャルの高さで、カズと武田の2トップを操り、チームを後期リーグの優勝に導き、
さらにチャンピオンシップでも鹿島アントラーズを下し、Jリーグ初代優勝に大きく貢献した。
その後も、ヴェルディ川崎に毎シーズンのように多くのタイトルをもたらした。
さらにゴール後の、片膝をついて眉間に指をあて、祈るポーズがメディアで大きく取り上げられ、Jリーグ有数の人気選手となる。
しかし96シーズン、ヴェルディ川崎は成績が振るわず、チームは新しい外国人選手を獲得するため、ビスマルクを放出する。
本人は放出された時点で、ブラジルへの帰国を決心していたということだが、
鹿島アントラーズのジーコから直々に誘いを受け、97シーズンからは鹿島アントラーズでプレーする。
鹿島アントラーズでは、ヴェルディ川崎時代よりもゴール数は減ったが、中盤を幅広く動き、守備力も兼ね備えた、
より完成度の高いMFとして成長。
鹿島アントラーズには5シーズン在籍し、3度の年間チャンピオン、その他にも多くのタイトルをもたらし、黄金時代の立役者となった。
01シーズン終了後には退団を表明し、サポーターに惜しまれながらブラジルに帰国。
ブラジルではフルミネンゼやゴイアスでプレーしたが、あまり結果を残すことはできなかった。
03シーズンには、再び来日し、ヴィッセル神戸のユニフォームを着るが、かつてのようなプレーを見せることはできずに、
9試合にのみ出場しチームを退団すると、そのまま現役生活に別れを告げた。
代表では11試合に出場し1ゴールを挙げている。
将来のブラジル代表の中軸を担う人材であったにも関わらず、日本に活躍の場を移したことで、ブラジル代表への道は完全に閉ざされてしまった。
90年代前半、ブラジル代表は司令塔の深刻な人材不足に陥った。
もし、ビスマルクが日本以外の場所でプレーをしていたのなら、ブラジル代表の「10」を背負うチャンスがあったかもしれない
敬虔なクリスチャンとして知られるが、非常に短気な一面も持ち合わせており、ピッチで怒りを爆発させたりすることも度々ありました。。
![]()