【 ベベット 】 173/68 1964-2-16
FW
| シーズン |
所属 |
リーグ |
試合 |
ゴール |
| 82 |
ヴィトーリア |
Bra1 |
- |
14 |
| 83 |
フラメンゴ |
Bra1 |
7 |
1 |
| 84 |
フラメンゴ |
Bra1 |
9 |
5 |
| 85 |
フラメンゴ |
Bra1 |
12 |
6 |
| 86 |
フラメンゴ |
Bra1 |
15 |
5 |
| 87 |
フラメンゴ |
Bra1 |
14 |
6 |
| 88 |
フラメンゴ |
Bra1 |
16 |
9 |
| 89 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
12 |
6 |
| 90 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
12 |
8 |
| 91 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
8 |
3 |
| 92 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
25 |
18 |
| 92 / 93 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
37 |
29 |
| 93 / 94 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
34 |
16 |
| 94 / 95 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
26 |
16 |
| 95 / 96 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
34 |
25 |
| 96 |
フラメンゴ |
Bra1 |
15 |
7 |
| 96 / 97 |
セビージャ |
Spa1 |
5 |
0 |
| 97 |
ビトーリア |
Bra1 |
3 |
4 |
| 98 |
ボフォタゴ |
Bra1 |
17 |
9 |
| 99 |
ボフォタゴ |
Bra1 |
0 |
0 |
| 00 |
鹿島アントラーズ |
Jap1 |
8 |
1 |
| 01 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
8 |
2 |
| 02 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
0 |
0 |
| 03 |
アル・ティハド |
Sa.A1 |
5 |
1 |
| 計 |
|
|
322 |
191 |
非常に線が細く、身長も高くない、なで肩で一見少年のようにも見えるが、鋭いドリブルと正確なシュートを持つ、90年代のブラジルを代表するストライカーである。
得点力も非常に高いが、アシストの能力も非常に高く、多くの得点を演出している。
82シーズンにビトーリアでデビューし、翌83シーズンには名門フラメンゴに移籍する。
84シーズンからはレギュラーに定着する。
当時は、MFとしてもプレーをしており、そのプレースタイルから、ジーコの再来として騒がれた。
89シーズンには、ヴァスコ・ダ・ガマにロマーリオの後釜として加入、そこでも得点能力をいかんなく発揮、いきなりブラジル全国選手権での優勝を飾る。
92シーズンには、ブラジル全国選手権での得点王に輝く。
すでに、ブラジル代表としても定着し、ブラジルを代表するストライカーになっていたベベットは欧州に渡ることになる。
ベベットが移籍先に選んだのは、スペインリーグで数年前まで1部にあがったことすらなかった、世界的には全く無名のディポルティボ・ラ・コルーニャだった。
(このシーズン、同じくブラジル代表のマウロ・シルバも加入)
そして、ここからディポルティボ・ラ・コルーニャの快進撃が始まる。
加入した92/93シーズンには、いきなり29得点を挙げ、得点王に輝き、当時1部リーグの下位で燻っていたチームを、一気に上位に引上げる。
そして93/94シーズンもディポルティボは快進撃を続ける。
前線の核としてチームをフランらと共に引っ張り、当時3連覇を果たしていたクライフ率いるFCバルセロナと最後まで優勝争いを繰り広げる。
ディポルティボはFCバルセロナを押さえ、首位で最終節を迎えるが、逆転され優勝を逃す。
(ディポルティボは1ポイント差で1位で最終説を迎えた。同点で後半終了間際に、
PKの場面を迎えるが、ベベットはPKのキッカーを拒否する。結局代わりに蹴ったジュキッチがPKを外し、優勝を逃す。)
翌94/95シーズンも2位の成績を収め、スペイン有数のクラブとして成長する。
そして、最後のシーズンとして臨んだ95/96シーズンには、国王杯で優勝し、チームに念願の初タイトルをもたらし、スペインを去る。
その後、フラメンゴやボフォタゴなどのブラジルの名門を渡り歩き、活躍を続ける。
(96/97シーズンに少しだけ、セビージャに所属)
そして、00シーズンにJリーグの鹿島アントラーズに移籍するが、全く活躍できず、わずか1ゴールのみで日本を去る。
再びブラジルに戻るが、あまり活躍の場がなく、最後はサウジアラビアのクラブでプレーをして現役の幕を閉じた。
代表では75試合39ゴールの成績を残している。
カレカの時代から、ロナウドの時代まで代表では長くプレーしている。
87年の南米選手権では、6ゴールを挙げ得点王に輝き、ブラジルを40年ぶりの優勝に導いている。
90年のW杯では、カレカとミューレルを前に、ロマーリオと共にベンチを暖めることとなった。
そして、94年のW杯では、ロマーリオと当時世界最強と言われた2トップを組み、自らも3ゴールを挙げ、優勝の原動力となった。
(ロマーリオとベベットは仲が悪かったが、実力はお互い認め合っていため、衝突は無かった)
98年のW杯では、すでに全盛期を過ぎていながらも、ロナウドのサポート役として活躍。
優勝を逃すも、決勝進出に貢献した。
ほんとにきゃしゃな体で、顔は童顔なんですけど、この選手は結構気が強いみたいです。
98年のW杯では、グランドでドゥンガと掴みあいのケンカをしていました。
最近ではよく見られる、ゆりかごダンスの発案者はベベットです。

