【 アベル バルボ 】 180/76 1966-6-1  FW

シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
87〜88 ニューウエルズ・O Arg1 23 9
88〜89 リーヴェルプレート Arg1 38 12
89〜90 ウディネーゼ Ita1 28 11
90〜91 ウディネーゼ Ita2 37 22
91〜92 ウディネーゼ Ita2 37 11
92〜93 ウディネーゼ Ita1 32 21
93〜94 ASローマ Ita1 30 12
94〜95 ASローマ Ita1 32 22
95〜96 ASローマ Ita1 26 13
96〜97 ASローマ Ita1 30 17
97〜98 ASローマ Ita1 28 14
98〜99 パルマ Ita1 25 4
99〜00 フィオレンティーナ Ita1 19 4
00〜01 ASローマ Ita1 2 0
01〜02 ASローマ Ita1 1 0
ボカ・ジュニアーズ Arg1 - -

壊力抜群の右足から放たれるシュートは正確かつ非常に鋭い。
またペナルティエリア内での抜群のポジショニングと嗅覚で、ゴールを量産した90年代を代表するストライカーの一人。

ヘディングも強く、裏に抜けるプレーも得意とした万能型FWである。
バルボのもう一つの特徴は抜群の安定感である。
ストライカー泣かせのイタリアで9年連続二桁得点を挙げている。


87/88シーズンに、ニューフウェルズ・オールドボーイズでトップデビューを果たすと、いきなりレギュラーで活躍。
9ゴールを挙げ、リーグ優勝に貢献。

88/89シーズンには名門リーヴェルプレートに移籍。
ここでシーズン12ゴールを挙げ、翌シーズンにはイタリアのウディネーゼに引き抜かれることになる。

89/90シーズン。このシーズンバルボは相棒ブランカと共に安定したパフォーマンスを見せるが、チームは2部に降格してしまう。
しかし、移籍はせずチームに残留し。
90/91シーズンには2部で得点王に輝き、翌91/92シーズンにはチームを1部に引上げる。

92/93シーズンには1部復帰すると、いきなりリーグ2位の21ゴールを挙げる活躍を見せ、不調のチームを降格圏から引上げた。

そしてその活躍が認められ、93/94シーズンには名門ASローマに引き抜かれることになる。

94/95シーズンには、ナポリから加入したフォンセカと共にセリエA屈指の2トップを形成。
バルボはこのシーズン22ゴールを挙げ、チームをリーグ3位に導く活躍を見せた。
その後のシーズンも安定したパフォーマンスを見せると同時に、若き天才トッティの成長を支えた。

98/99シーズンにはパルマに移籍。
当時のパルマはキエーザ、クレスポの2トップが健在で、サブとして起用される。
そこで、スーパーサブとしての起用に応え、貴重なゴールを連発し、国内カップとUEFAカップの2冠に大きく貢献する。

99/00シーズンはフィオレンティーナでプレー。
ここでは、バティストゥータ、キエーザ、ミヤトビッチに次ぐ第4のFWとしての扱いであったが、限られた時間で結果を残しチームに貢献する。

00/01シーズンには、古巣ASローマに復帰。
バティストゥータも同時に加入したため、ほとんど活躍の機会は無かったが、イタリアで初の優勝を経験。

01/02シーズンの途中に母国アルゼンチンのボカ・ジュニアーズに移籍し、そのシーズン終了をもって現役を引退した。


代表では37試合で11ゴールという成績を残している。
本来ならアルゼンチン代表のエースストライカーとして活躍できるプレイヤーなのだが、
同じ時代にバティストゥータという、サッカー史に残るストライカーがいたため、活躍の場は限られていた。

監督からの信頼は厚く、W杯には3大会連続で出場している。


非常に人間的に優れた人物で、代表ではほとんどベンチで過ごしていましたが、文句一つ言わずに、チームのムード作りに務めていたらしいです。
ローマ時代、ビアンチ監督がトッティの才能を評価せずに使おうとしなかったため、ビアンチ監督対してトッティの才能の素晴らしさを訴え続けたそうです。
干されていたトッティに「チャンスは必ず来る」と励ましていたそうです。

若い頃はアルゼンチンの選手らしくロングへヤーをなびかせていましたが、20代半ばで髪が薄くなってきました・・・・・

代表では同じポジションでライバルであったバティストゥータとは、非常に仲が良く、良き相談相手だったそうです。