
【 クラシミル バラコフ 】 176/72 1966-3-29
MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 82 / 83 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 2 | 0 |
| 83 / 84 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 17 | 2 |
| 84 / 85 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 30 | 7 |
| 85 / 86 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 5 | 3 |
| 86 / 87 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 0 | 0 |
| 87 / 88 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 18 | 2 |
| 88 / 89 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 29 | 9 |
| 89 / 90 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 30 | 9 |
| 90 / 91 | Etar Veliko Tarnovo | Bul1 | 11 | 3 |
| スポルティング・リズボン | Por1 | 18 | 4 | |
| 91 / 92 | スポルティング・リズボン | Por1 | 32 | 7 |
| 92 / 93 | スポルティング・リズボン | Por1 | 32 | 11 |
| 93 / 94 | スポルティング・リズボン | Por1 | 29 | 15 |
| 94 / 95 | スポルティング・リズボン | Por1 | 27 | 6 |
| 95 / 96 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 34 | 7 |
| 96 / 97 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 31 | 13 |
| 97 / 98 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 31 | 11 |
| 98 / 99 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 24 | 5 |
| 99 / 00 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 30 | 6 |
| 00 / 01 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 28 | 6 |
| 01 / 02 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 30 | 4 |
| 02 / 03 | VfBシュトゥットガルト | Dui1 | 28 | 2 |
| 計 | 516 | 132 |
ブルガリアが生んだワールドクラスの司令塔。
極上のテクニックと高度な戦術眼を持ち、FWを自在に操ると同時に、自らも得点を挙げることができる。
自己犠牲の精神を持ち、天才司令塔にありがちな、気まぐれなタイプではない。
その実力からすれば、ジダンのような世界的なスーパースターになってもおかしくないのだが、お金や名声のためにむやみにチームを移るということはしなかった。
所属したチームのためには全身全霊をささげてプレーする偉大な選手。
82/83シーズンにEtar Veliko Tarnovoという小さなクラブで16歳でプロデビューする。
翌83/84シーズンからはレギュラーとして活躍し、すば抜けた才能を発揮する。
その後、怪我で苦しんだ時期もあったが、順調に成長しブルガリアを代表する選手になる。
国内の強豪クラブからの誘いはあったが、移籍はせず国内ではEtar Veliko Tarnovoだけでプレーした。
90/91シーズンの途中からは、ポルトガルの名門スポルティング・リズボンで新たな挑戦を始めることになる。
ポルトガルの地でもその才能はずば抜けており、加入するとすぐにチームの中心選手となる。
フィーゴ、カデテ、ユスコビアクらと共に華麗なアタッキングサッカーを展開するも、チームはタイトルには恵まれなかった。
しかし、94/95シーズンには国内カップで見事に優勝を果たし、長年タイトルから遠ざかっていた名門にタイトルをもたらした。
このタイトルを置き土産にして、翌95/96シーズンからはドイツに活躍の場を移す。
95/96シーズン、シュトゥットガルドはバラコフをエウベル、ボビッチの2トップを操る司令塔として獲得。
そしてこの3人はドイツに旋風を巻き起こすことになる。
エウベル、ボビッチはバラコフという最高のパサーを得たことによって、ストライカーとしての才能を完全に開花させた。
「魔法のトライアングル」と言われたこのトリオは凄まじい破壊力を持ち、見るものを圧倒した。
96/97シーズンには優勝争いにも絡み、4位という好成績を残し、国内カップでは見事に優勝を果たしている。
このシーズン、リーグ戦で「魔法のトライアングル」は50得点を荒稼ぎした。
その後、エウベル、ボビッチはチームを退団し、バラコフにも多くのオファーがあったがシュトゥットガルド一筋でプレー。
チームは降格争いをするほどに低迷した時期もあったが、バラコフはチームのために全てを出しつくしプレーした。
チームもサポーターもバラコフに全幅の信頼を置き、いつしかチームの象徴的な存在となった。
02/03シーズン、バラコフは「このシーズンのプレーを最後に引退する」と明言する。
このシーズン、クラニーやフレブという若い選手がバラコフのプレーに引っ張られるようにして、才能を開花させる。
バラコフは「本当に引退するのか」と思わすような、見事なプレーを披露しチームは快進撃を続けた。
結局、優勝はできなかったが、2位という好成績を収めた。
そして宣言どおり、シーズン終了後には現役を引退した。
ブルガリア代表としては、92試合に出場し16ゴールを挙げている。
長年にわたりチームの中心として活躍した。
ブルガリアではストイチコフに並ぶ国民的英雄であるが、そのストイチコフとは犬猿の仲である。
94年のW杯ではチームの中心として見事なゲームメイクを見せ、チームをベスト4に導いている。
特に準々決勝のドイツ戦では最高の輝きを見せ、この大会での活躍でバラコフの名は世界にとどろいた。
この大会前にはストイチコフとは和解をしており、大会ではチームは完全に1つにまとまっていたが、その後再び、両者の関係は悪化する。
98年のW杯では、試合中でも会話がないどころか、目も合わさないような状態だった。
もちろん、エースストライカーとゲームメーカーがそんな関係でチームが勝てるわけもなく、グループリーグ全敗で大会を去った。
ストイチコフが代表を去ってからも、チームリーダーとして常に代表の中心にはバラコフの存在があった。
しかし、スタープレーヤーが抜けてしまったブルガリア代表はバラコフ1人の力ではどうすることもできず、メジャー大会に出場することはできなかった。
欧州のビッグクラブでも充分に活躍できる実力があったと思いますが、本人がそういうことを望んでいなかったようで実現しませんでした。
「王様」ストイチコフとは、人間性がまさに水と油という感じで、そら仲良くはできんよなって思います。
もし、良好な関係を築いていれば、98年のW杯はグループリーグ敗退ということはなかったでしょう。
頭も良くて、7ヶ国語を話せるそうです。