
【 ホセ マリア バケーロ 】 172/72 1963-2-11
FW/MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 80 / 81 | R・ソシエダ | Spa1 | 7 | 0 |
| 81 / 82 | R・ソシエダ | Spa1 | 2 | 0 |
| 82 / 83 | R・ソシエダ | Spa1 | 33 | 4 |
| 83 / 84 | R・ソシエダ | Spa1 | 31 | 10 |
| 84 / 85 | R・ソシエダ | Spa1 | 30 | 9 |
| 85 / 86 | R・ソシエダ | Spa1 | 29 | 16 |
| 86 / 87 | R・ソシエダ | Spa1 | 39 | 11 |
| 87 / 88 | R・ソシエダ | Spa1 | 32 | 17 |
| 88 / 89 | FCバルセロナ | Spa1 | 20 | 9 |
| 89 / 90 | FCバルセロナ | Spa1 | 32 | 13 |
| 90 / 91 | FCバルセロナ | Spa1 | 34 | 12 |
| 91 / 92 | FCバルセロナ | Spa1 | 35 | 11 |
| 92 / 93 | FCバルセロナ | Spa1 | 39 | 11 |
| 93 / 94 | FCバルセロナ | Spa1 | 35 | 5 |
| 94 / 95 | FCバルセロナ | Spa1 | 34 | 4 |
| 95 / 96 | FCバルセロナ | Spa1 | 31 | 6 |
| 96 / 97 | FCバルセロナ | Spa1 | 4 | 1 |
| 97 / 98 | ベルクルス | Mex1 | − | - |
| 計 | 467 | 139 |
豊富な運動量と素晴らしい攻撃センスを持ち、献身的なプレーでサポーターに愛された。
特に2列目からの絶妙なタイミングからの飛び出しは、数多くのゴールを奪った。
バルセロナ黄金時代の中盤のキーマンの1人である。
80/81シーズン、レアル・ソシエダでトップデビューを果たすが、なかなか出番に恵まれず初ゴールを挙げたのは82/83シーズンだった。
当時はフォワードでプレーしており、83/84シーズンには初の二桁得点を挙げる。
85/86シーズンからは3シーズン連続で二桁得点を記録し、
86/87シーズンには、ジョン・トシャック監督に率いられ、ベギリスタインらと共に国内カップを制する。
その頃にはバケーロの名はスペイン全土に広がっていた。
88/89シーズンにはクライフ監督が就任したFCバルセロナにベギリスタインと共に移籍する。
FWとして活躍してきバケーロは、ここでクライフによりMFにコンバートされる。このコンバートによりさらに才能が開花する。
ミカエル・ラウドルップのように華麗でもなく、ベギリスタインのようにテクニシャンでもないが、
もともと得意であったダイレクトプレーを生かし、グアルディオーラと共に中盤で重要な役割を果たすようになる。
また果敢な2列目からの攻撃参加で多くのゴールを挙げた。
88/89シーズンにはカップウイナーズ・カップ優勝。90/91からはリーグ4連覇。
91/92シーズンはヨーロッパチャンピオンズカップ優勝。93/94シーズンには準優勝。
当時ドリームチームと言われたチームの中で、最も輝いていたスペイン人であった。
しかし、95/96シーズン途中にクライフ体制が崩壊。96/97シーズンを最後にバルセロナを退団。
その後、メキシコのベルクルスというチームで1シーズンプレーをして引退した。
スペイン代表では30試合、7ゴールの成績を残している。
バルセロナの活躍に比べると、少々物足りない数字である。
94年アメリカワールドカップでは、背番号「10」を背負いベスト8に貢献した。
今から考えてみると、バケーロにベギリスタインにサリナス、ゴイコエチア、スビサレッタって、ドリームチームにはバスク人が多かったんですね。