
【 ファウスティーノ アスプリージャ 】 180/71 1969-11-10
FW
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 88 | Cucuta | Col1 | 36 | 17 |
| 89 | ナシオナル | Col1 | 15 | 7 |
| 90 | ナシオナル | Col1 | 20 | 9 |
| 91 | ナシオナル | Col1 | 34 | 15 |
| 92 | ナシオナル | Col1 | 6 | 4 |
| 92 / 93 | パルマ | Ita1 | 26 | 7 |
| 93 / 94 | パルマ | Ita1 | 27 | 10 |
| 94 / 95 | パルマ | Ita1 | 25 | 6 |
| 95 / 96 | パルマ | Ita1 | 6 | 2 |
| ニューカッスル・U | Eng1 | 14 | 3 | |
| 96 / 97 | ニューカッスル・U | Eng1 | 24 | 4 |
| 97 / 98 | ニューカッスル・U | Eng1 | 10 | 2 |
| パルマ | Ita1 | 14 | 2 | |
| 98 / 99 | パルマ | Ita1 | 8 | 1 |
| 99 | パルメイラス | Bra1 | 6 | 2 |
| 00 | パルメイラス | Bra1 | 6 | 0 |
| フルミネンゼ | Bra1 | 2 | 0 | |
| 01 | フルミネンゼ | Bra1 | 10 | 8 |
| 01 / 02 | Atlante Ciudad | Mex1 | 12 | 3 |
| 02 | ナシオナル | Col1 | 11 | 3 |
| 03 | Universidad de Chile | Chi1 | 13 | 5 |
| 03 / 04 | Estudiantes | Arg1 | 2 | 0 |
| 04 | Corporacion Tulua | Col1 | - | - |
最高級のテクニックと驚愕の身体能力を持つ、コロンビアが世界に放った究極の天才。
独特のボールタッチを生かしたドリブルでDFを翻弄したかと思うと、驚異的なスピードで相手を抜き去ってしまうこともできる。
多彩なアイデアの持ち主で、数多くの奇想天外なスーパーゴールを挙げている。
非常に足が長くボールキープ力があり、線は細いが当りに弱い訳ではない。
こうして特徴を並べると、ペレ、クライフ、マラドーナに並ぶ天才かと思ってしまうが一つ問題点があった。
それは彼の性格である。
非常にわがままで、熱くなると自分の感情というのを抑える事はできない「超」問題児。
イアン・ライトやストイチコフのように勝利への執念から熱くなるというのではなく、とにかく精神的に幼い。
集中力がいったん切れてしまうと試合から完全に消えてしまうし、ボールがきても緩慢なプレーを見せることがあった。
その性格から、ピッチ外で問題を起こすことも多く、暴力事件や発砲事件を度々起こし世間を賑わせた。
88シーズンにコロンビアのCucutaというチームでデビューすると、いきなり17ゴールを記録し華々しいデビューを飾る。
翌89シーズンには、名門ナシオナルに移籍し活躍することになる。
ナシオナルでも徐々にその才能を発揮し、91シーズンにはレギュラーに定着し、15ゴールを挙げチームのリーグ優勝に大きく貢献し、シーズンのMVPにも選出されている。
翌92シーズンの途中には、かねてからアスプリージャの才能に惚れ込んでいたイタリアのパルマに引き抜かれることになる。
コロンビアと西欧では生活習慣は全く違うため、活躍することは難しいと言われていた。
しかし、パルマはアスプリージャという若者を大事に扱い、スカラ監督は気難しい彼の事を良く理解した。
アスプリージャもまたスカラ監督に信頼を置いていた。
92/93シーズン、当時新参者であったパルマはメッリ、ブローリン、アスプリージャ、グルン、タファレルなどの個性的なメンバーで戦い、魅力的なサッカーを展開する。
アスプリージャは波こそあったがその驚異的なパフォーマンスでイタリアのサッカーファンを唸らせた。
カップウイナーズ・カップではまさかの優勝を果たし、ヨーロッパ中にパルマとアスプリージャの名が知れ渡る事となった。
93/94シーズン、パルマにゾラが加入すると、アスプリージャと魅惑の2トップを形成する。
ゾラはアスプリージャの動きを完璧に理解し、素晴らしいコンビネーションでゴールを重ねた。
このシーズン、ACミランは圧倒的な守備力を誇り連続無失点記録を更新していた。
その無失点記録更新に終止符を打ったのは、アスプリージャのFKであった。
アスプリージャは10ゴールを挙げる活躍を見せ、チームは5位の好成績を収めた。
さらにカップウイナーズ・カップでも2シーズン連続の決勝進出を果たしたが、アーセナルの前に惜しくも敗れた。
しかしこの頃から、イタリアでも傍若無人な振る舞いが目立つようになり、パフォーマンスの波も大きくなってきていた。
翌94/95シーズン、チームにブランカという実力派ストライカーが加入したため、出場機会が減少する。
試合に出ればゾラとのコンビで圧倒的なプレーを見せるのだが、完全に消えてしまう試合も少なくはなかった。
チームはユベントスとの激しい優勝争いを演じたが、惜しくも2位でシーズンを終える。
しかし、UEFAカップでは決勝でユベントスと対戦し勝利。
アスプリージャは2度目のヨーロッパタイトルを掲げた。
95/96シーズンには、怪我で出遅れ、さらにストイチコフが加入したため、ほとんど出場機会のないままイングランドのニューカッスル・Uに移籍。
イングランドに移籍してからは、さらに調子の波は大きくなり、ファーディナンドやシアラーからレギュラーの座を奪う事はできなかった。
イングランドでのハイライトは、なんと言っても97/98シーズンのチャンピオンズリーグでホームにFCバルセロナを迎えた一戦である。
この試合、驚異的な動きを見せハットトリックを達成、バルセロナをグループリーグ敗退に追い込んだ。
その後、パルマに復帰するが、パフォーマンスはパっとせず、99/00シーズンにはヨーロッパを離れ、ブラジルに活躍の場を移す。
(パルメイラス在籍時にはトヨタカップで来日し、ピッチに立っている。)
しかし、ブラジルでもあまり活躍することはできなかった。
フルミネンゼでは復活を期待させるような成績を残すが、その後移籍したメキシコやチリ、アルゼンチンで結果を残せず、
04シーズン、コロンビアのチームでプレーしたが、その後どのクラブにも所属はしていないようである。
代表では44試合で18ゴールを挙げている。
バルデラマ、ヴァレンシア、リンコンらと共にマツラナ監督によるコロンビア黄金期の中心メンバーとして活躍した。
94年のW杯南米予選の最終戦では、アルゼンチンを自らの2ゴールを含む5対0で破り、アルゼンチンを奈落の底に突き落とした。
サッカーの王様ペレも優勝候補として認めるチームとして本大会に入ったが、グループリーグ第1戦のルーマニアのカウンターで躓くと、まったくいいところ無く大会を去った。
アスプリージャもこの大会は全くといっていいほど、いいところがなく批判の対象となった。
98年のW杯では、途中交代に怒ったアスプリージャがゴメス監督を猛批判したことにより、大会途中にチームを追放されてしまった。