【 アルフォンソ ペレス 】 178/69 1972-9-26  FW



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
90〜91 レアル・マドリード Spa1 9 0
91〜92 レアル・マドリード Spa1 19 3
92〜93 レアル・マドリード Spa1 26 3
93〜94 レアル・マドリード Spa1 18 5
94〜95 レアル・マドリード Spa1 15 2
95〜96 レアル・ベティス Spa1 35 13
96〜97 レアル・ベティス Spa1 42 25
97〜98 レアル・ベティス Spa1 31 10
98〜99 レアル・ベティス Spa1 11 2
99〜00 レアル・ベティス Spa1 34 10
00〜01 FCバルセロナ Spa1 17 2
01〜02 FCバルセロナ Spa1 4 0
オリンピック・マルセイユ Fra1 11 5
02〜03 レアル・ベティス Spa1 15 6
03〜04 レアル・ベティス Spa1 20 4
04〜05 レアル・ベティス Spa1 10 0
  計 317 90

スペインを代表するテクニカルなストライカー。
両足でシュートを放つことができ、それほど大柄ではないがヘディンも強い。

レアル・マドリードの育成システムで育ち、そのずば抜けたサッカーセンスは「ブトラゲーニョの後継者」として評価された。


90/91シーズンにトップデビューを果たす。
その頃はブトラゲーニョも健在、またサモラーノの加入などで、レギュラーとして活躍はできなかったが、貴重な戦力として活躍し、順調に成長をしていく。

しかし、94/95にトップチームに昇格した天才ラウールによって、アルフォンソのチームでの存在は微妙にものになっていく。
そのシーズン、ラウールはレギュラーとしてシ活躍し、9ゴールを挙げ優勝に大きく貢献した。
しかし、アルフォンソはサブとして使われ続け、シーズン2ゴールで終える。
チームでの活躍の場を失ったアルフォンソは移籍を決意する。
そしてこの移籍が吉と出ることになる。

95/96シーズンから、ベティスでプレーを始める。
レアル・マドリードでは出場機会は限られていたが、ベティスではレギュラーとして出場する。
このシーズン、13ゴールを挙げ、エースストライカーとしての存在を確立した。

96/97シーズンには、アルフォンソの名は一気に世界に知れ渡るようになる。
ヤルニと、このシーズンに加入したフィニディ・ジョージの、リーグ最強とも言える両翼を得たベティスは快進撃を見せる。
アルフォンソは両翼からの多くのアシストでゴールを量産。
25ゴールを挙げ、チームを3位に導いた。

その後もチームのエースストライカーとして活躍し、在籍した5シーズンで60ゴールを挙げる活躍を見せた。
00/01シーズンにチームが2部に降格となったため、FCバルセロナに移籍する。

しかし、ベティスのエースもビッグクラブではやはり控えの扱いであった。
クライファート、サビオラ、リバウドのレギュラー陣には歯が立たず、翌01/02シーズンの途中にフランスのオリンピック・マルセイユにレンタル移籍する。
フランスでは、低迷するチームで11試合で5ゴールというまずまずの成績を残し、02/03シーズンからは再びベティスでプレーをする。
3シーズンで10ゴールを挙げ、04/05シーズンを最後に現役を引退した。

代表では38試合、11ゴールという成績を残している。
バルセロナオリンピックではキコやルイス・エンリケ、グアルディオラらと共に見事優勝を果たす。
19歳でフル代表デビューを果たすが、レギュラー定着には至らなかった。
96年の欧州選手権、98年のW杯に出場するも、ゴールを挙げられなかった。
2000年の欧州選手権では、グループリーグのユーゴスラビア戦、引き分けでも敗退という試合で、ロスタイムの逆転弾を放ち、奇跡の逆転劇の主人公となった。



素晴らしいストライカーですが、ベティス以外では代表でもクラブでもなかなかポジション争いに勝てませんでした。

今でこそ白いスパイクを履く選手は多いですが、このアルフォンソはデビューの頃から履いて、トレードマークになっていました。。
当時では珍しく、ピッチ上ですごく目立っていたのを覚えています。
FCバルセロナでは、白はレアル・マドリードのカラーであるということで、黄金のスパイクを履いていました。