
【 ギジェルモ・アモール 】 174/69 1967-12-4
MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 86 / 87 | FCバルセルナ(B) | Spa | 3 | 1 |
| 87 / 88 | FCバルセルナ(B) | Spa | 37 | 8 |
| 88 / 89 | FCバルセルナ | Spa1 | 26 | 0 |
| 89 / 90 | FCバルセルナ | Spa1 | 33 | 6 |
| 90 / 91 | FCバルセルナ | Spa1 | 34 | 4 |
| 91 / 92 | FCバルセルナ | Spa1 | 36 | 6 |
| 92 / 93 | FCバルセルナ | Spa1 | 33 | 5 |
| 93 / 94 | FCバルセルナ | Spa1 | 37 | 8 |
| 94 / 95 | FCバルセルナ | Spa1 | 34 | 4 |
| 95 / 96 | FCバルセルナ | Spa1 | 27 | 5 |
| 96 / 97 | FCバルセルナ | Spa1 | 26 | 0 |
| 97 / 98 | FCバルセルナ | Spa1 | 23 | 0 |
| 98 / 99 | フィオレンティーナ | Ita1 | 16 | 0 |
| 99 / 00 | フィオレンティーナ | Ita1 | 8 | 0 |
| 00 / 01 | ビジャレアル | Spa1 | 35 | 0 |
| 01 / 02 | ビジャレアル | Spa1 | 29 | 1 |
| 02 / 03 | Livingsto | Sco1 | 3 | 0 |
| 計 | 440 | 48 |
クライフのドリームチームを支えた中盤の功労者。
献身的なプレーと、確かな戦術眼で攻撃的なチームの中盤をいぶし銀の働きで引き締めた。
また、同じく中盤でプレーして司令塔グアルディオーラの動きを最大限に引き出した。
バルセロナユースで育ったアモールは、88/89シーズンにトップに昇格する。
そのシーズンには26試合に出場。レギュラーとしてはプレーできなかったが、才能をアピールし、カップウイナーズ・カップの優勝に貢献する。
翌89/90シーズンからは、レギュラーとして活躍。
90/91シーズンには、自身初のリーグ優勝を果たす。
91/92シーズンには、レギュラーに定着した司令塔グアルディオーラと共に中盤を形成。
2シーズン連続のリーグ優勝と共に、チャンピオンズカップでも優勝し、ヨーロッパ制覇を果たす。
その後、国内では93/94シーズンまで4連覇を果たした。
ストイチコフ、ミカエル・ラウドルップ、バケーロ、ロマーリオなど攻撃的なスターばかりが注目されたドリーム・チームであったが、
アモールは「縁の下の力持ち」的な存在でチームを支え続けた。
しかし、その後クライフがチームを去り、外国人選手が多くチームに加入するにつれて、徐々に活躍の場が失われていく。
97/98シーズンには、ファン・ハールが監督に就任。
これによってさらに出場機会が少なくなり、シーズン終了後に慣れ親しんだカンプ・ノウを去ることを決意する。
98/99シーズンからはイタリアのフィオレンティーナに移籍。
活躍が期待されたが、多くのスペイン人がイタリアサッカーに馴染めなかったように、アモールも活躍することはできなかった。
活躍できないまま、2シーズンイタリアで過ごし、00/01シーズンにはビジャレアルに活躍の場を求めて移籍する。
ここで、アモールは完全復活する。
全盛期にも勝るとも劣らないハイレベルなプレーを見せ、チームの大黒柱として活躍した。
02/03シーズンにはスコットランドのチームに移籍、そしてこのシーズン終了後に現役を引退した。
代表では37試合で4ゴールの成績を残している。
96年の欧州選手権に初のメジャー大会に出場する。
98年のW杯では中盤の一角を担ったが、まさかのグループリーグ敗退という悪夢を経験した。
まさしく「いぶし銀」という感じのプレイヤー。
ドリームチームではほとんどの選手が攻撃的だし、おまけにグアルディオーラは運動量も少ないので、アモールの役割は非常に大きかったと思います。
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