
【 ラウール アマリージャ 】 188/75 1961-7-19
FW
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 78 | S.Luqeno | Par1 | - | - |
| 79 | S.Luqeno | Par1 | - | - |
| 80 | S.Luqeno | Par1 | - | 20 |
| 80 / 81 | サラゴサ | Spa1 | - | 7 |
| 81 / 82 | サラゴサ | Spa1 | 33 | 13 |
| 82 / 83 | サラゴサ | Spa1 | 34 | 19 |
| 83 / 84 | サラゴサ | Spa1 | 29 | 11 |
| 84 / 85 | サラゴサ | Spa1 | 30 | 4 |
| 85 / 86 | FCバルセロナ | Spa1 | 18 | 5 |
| 86 / 87 | FCバルセロナ | Spa1 | 5 | 1 |
| 87 / 88 | FCバルセロナ | Spa1 | 9 | 2 |
| 88 | オリンピア | Par1 | - | 17 |
| 89 | オリンピア | Par1 | - | - |
| 89 / 90 | アメリカ | Mex1 | - | - |
| 90 | オリンピア | Par1 | - | - |
| 91 | オリンピア | Par1 | - | - |
| 92 | オリンピア | Par1 | - | - |
| 93 | 横浜フリューゲルス | Jpa1 | - | 8 |
| 94 | 横浜フリューゲルス | Jpa1 | 19 | 13 |
空中戦に無類の強さを誇るパラグアイの国民的英雄。
非常に線が細く、ニックネームは「バンブー」(竹)。
長身で抜群のジャンプ力を持ち、空中戦では一人宙に浮いているようにも見え、高い打点から打ち落とす、またはコースを狙ったヘディングは驚異的。
さらにポストプレーを得意とし、足元の技術もなかなかのものである。
78シーズンにS.Luqenoという地元チームで17歳でデビューすると、すぐに無類の決定力を発揮。
80シーズンには20ゴールを挙げる活躍を見せ、国内屈指のFWとなる。
その活躍が認められスペインのサラゴサにスカウトされ、すぐにスペインに渡ることを決意する。
80/81シーズン途中にサラゴサに移籍すると、すぐにチームにフィットしレギュラーとなる。
81/82シーズンには13ゴールを挙げる活躍を見せると、スペインのサッカー協会からU21のスペイン代表への召集を受け、アマリージャはこれを承諾した。
しかし、このことによりFIFAの規定でパラグアイ代表としてプレーができなくなってしまうことになる。
82/83シーズンには、バルダーノとの強力2トップでゴールを量産する。
2人合わせて36ゴールを挙げチームの上位進出に大きく貢献。
アマリージャの挙げた19ゴールはこのシーズンの得点ランキングで2位となる成績であった。
その後も着実に成績を残しリーグ屈指のFWとなったアマリージャは、85/86シーズンからFCバルセロナでプレーすることになる。
しかし、当時の監督であったテリー・ベナブルスはアマリージャをあまり評価していなかったため、控えとして扱われた。
出場しても、途中出場が多くレギュラーにはなれなかった。
86/87シーズンには、リネカーとマーク・ヒューズが加入したため、ほとんど出場機会が無くなってしまう。
87/88シーズンには、ルイス・アラゴネスが新しく監督となったが、状況は変わることはなかった。
FCバルセロナでの失意の3シーズンを過ごし、88シーズンからは母国パラグアイのオリンピアでプレーする。
サポーターはすでに峠の越えてしまった選手としてあまり期待はしていなかった。
しかし、母国で再び脅威の得点能力が花開く。
開幕からゴールを量産、17ゴールで得点王に輝くと共にチームをリーグ優勝に導いた。
89年のリベルタドーレス杯でもゴールを量産。
チームの決勝進出の原動力となるが、決勝でイギータ率いるコロンビアのナシオナルに破れる。
しかし10ゴールを挙げたアマリージャは大会得点王に輝き、南米を代表するFWとなった。
その後、少しの間メキシコのチームに籍を置くがすぐにオリンピアに復帰。
90年のリベルタドーレス杯では再びゴールを量産し、オリンピアは2年連続で決勝に進出。
決勝ではエクアドルのバルセロナと対戦、決勝の2試合でもゴールを挙げる大活躍を見せ南米の頂点に立った。
(エクアドルにもバルセロナというチームがあり、名前だけでなくユニフォームもそっくり。)
この活躍が評価され、90年の南米最優秀選手に選ばれている。
93シーズンからは、Jリーグの横浜フリューゲルスでプレー。
その頃には多くの故障を抱えていたが、加茂監督の元、前田治、エドゥ、前園、反町、モネールらと共に活躍。
天皇杯優勝に大きく貢献した。
94シーズンも開幕から順調にゴールを量産していたのだが、故障との戦いに敗れ、シーズン途中で引退を表明した。
代表は強豪スペイン国籍を選んだためほとんどプレーしていない。
皮肉なことに、母国パラグアイは86年のW杯に出場を果している。
もし、アマリージャがパラグアイ国籍を選んでいたなら、エースとして大暴れしていたのは間違いないだろう。
本当に線が細く、バンブーというニックネームそのままです。
パラグアイ代表としてプレーできなかったことは残念ですが、オリンピアでの活躍で母国の伝説的選手となりました。
![]()
![]()