【 ブライアン ラウドルップ 】 186/72 1966-2-22  FW


シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
86 ブロンビー Den1 2 0
87 ブロンビー Den1 24 11
88 ブロンビー Den1 12 0
89 ブロンビー Den1 11 2
89 / 90 バイヤー・ユルディンゲン Dui1 34 6
90 / 91 バイエルン・ミュンヘン Dui1 33 9
91 / 92 バイエルン・ミュンヘン Dui1 20 2
92 / 93 フィオレンティーナ Ita1 31 5
93 / 94 ACミラン Ita1 9 1
94 / 95 G・レンジャース Sco1 33 10
95 / 96 G・レンジャース Sco1 22 2
96 / 97 G・レンジャース Sco1 33 16
97 / 98 G・レンジャース Sco1 28 5
98 / 99 チェルシー Eng1 7 0
FCコペンハーゲン Den1 12 2
99 / 00 アヤックス Net1 32 13
343 84


重心が低く、鋭くダイナミックなドリブルを武器とした、デンマークを代表する選手の1人。
ミカエル・ラウドルップの弟であり、兄の程の成績は残してはいないが、1流選手であったことに間違いはない。

86年にブロンビーでトップデビューを果たすと、翌シーズンには11ゴールを挙げる活躍を見せる。
翌シーズンからチームは2連覇を果たす、得意のドリブルで活躍はするが、故障もあり充分な活躍はできなかった。

89/90シーズンからは、ドイツのバイヤー・ユルティンゲンに移籍。
ここでの活躍が認められ、翌90/91シーズンには名門バイエルン・ミュンヘンに移籍する。
ここでの2シーズンの活躍により、ブライアンは「ミカエルの弟」というわけではなく、1人の一流選手として認められていく。

92/93シーズンにはイタリアのフィオレンティーナに移籍する。
このシーズン、フィオレンティーナは中心選手であったドゥンガを放出し、エッフェンベルグ、ブライアンらの攻撃的選手を獲得した。
シーズン開幕からバティストゥータ、エッフェンベルグ、ブライアンらの攻撃陣は好調を維持し、その攻撃的サッカーでリーグに旋風起こし優勝争いを演じる。
しかし、折り返しから一気に下降線をたどり、結局2部に降格してしまう。

93/94シーズンにはACミランにレンタル移籍をするが、
サビチェビッチ、パパン、ボバンらの外国人枠の関係と、ドナドーニという不動のレギュラーがいたため
ほとんど試合に出ることはできず、イタリアを後にする。

94/95シーズンからは、スコットランドのグラスゴウ・レンジャースに移籍。
ここではイタリア時代の鬱憤を晴らすように、グランドを駆け抜ける。
開幕からエースとして活躍、見事優勝を飾り、シーズン最優秀選手に選ばれた。
96/97シーズンには相棒のガスコインの好アシストにも恵まれ、自己最高の16ゴールを挙げ、チームを優勝に導くと共に、2度目のシーズン最優秀選手にも選ばれた。

98/99シーズンにはイングランドのチェルシーに移籍をしたが、ヴィアリ監督によるフロー、ゾラ、M・ヒューズ、カシラギらとのローテーションシステムに不満爆発。
シーズン途中で母国のチームに移籍してしまう。

99/98シーズンにはオランダの名門アヤックスでプレー。
ここでは再びグラスゴウ時代のような活躍を見せる。
優勝は逃すが13ゴールを挙げる活躍を見せるが、シーズン終了後、故障を理由に突如引退をしてしまう。


代表では82試合で21得点を挙げている。
92年の欧州選手権では、ユーゴスラビアの代役として出場。
兄ミカエルは監督の戦術に反発し、代表を一時引退していたため出場しなかったが、ブライアンは高速ドリブルでカウンターを演出。
番狂わせを続け、決勝ではドイツにも勝利して、まさかの優勝を果たす。
ブライアンは名手シュマイケルと共に、奇跡の優勝の立役者となった。

98年のW杯には兄ミカエルと共に出場。
予選リーグでは苦戦を続けたが、決勝トーナメント一回戦では各上と見られていたナイジェリアを相手に4対1で圧勝するという番狂わせを起こす。

さらに次のブラジル戦でも、優勝候補ブラジルをあと一歩まで追い詰めたが、リバウドの一発で破れた。
この大会を最後にミカエルと共に代表を引退する。


ブライアンのドリブルはすごく迫力があり大好きでした。
足がすごく短いんだけど、それがいいんでしょうね。
引退するのが本当に早すぎです。もっと見たかった選手だったんですけどね・・・・・・。